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我らの魂は進撃する:『グローリー/明日への行進』感想

映画

 キング牧師を主役に据えた初の長編映画で、黒人の選挙権獲得のために行われた「セルマの行進」あるいは「血の日曜日事件」を題材にしています。監督はこれが長編2作目の黒人女性エヴァ・デュヴァネイ。本年度アカデミー賞主題歌賞受賞。

 本作はキング牧師がいかにデモ活動であるセルマの行進を勧めていったかという裏側を書いているのですが、合間合間にキング牧師を徹底的に監視し盗聴までしたFBIによる記録が挟まれ、ナラティヴを進めます。ナラティヴの推進力を持つという点でFBIは物語の上でも権力を持つこととなり、同時に私達も含む多くの人々が持つキング牧師の一般的なイメージを提供します。これは途中に出てくる新聞やテレビ報道にも同じことが言えるでしょう。

 しかし、映画が克明に映すのは聴衆の心をつかんでも妻の心はつかめず、マルコムXに敵愾心を燃やしプライドとエゴもある一介の男としてのキング牧師です。FBIの記録に代表される公の彼の姿――それは冒頭がノーベル平和賞授賞式で始まることでも示唆されています――にぶつけるようにプライヴェートな姿が提示されますが、それはどちらも真であり偽であるでしょう。そもそも本作でも、法律を変えるためにキング牧師はセルマでのデモ行進を企画し、人々の注目を集めるために「ドラマを作る」と公言しています。自然発生的にデモが起きるのではなく、目的のために計算をしシナリオを作り上げる。デモ活動も一つのフィクションであり、それを同じフィクションである映画に映す。どんなに努力しても伝記映画は対象となる人物の真実の姿を映すことは出来ず、フィクションとしかなり得ません。本作はその形式において伝記映画の限界あるいは宿命に言及し、そのことによってどういう立場を取るかを表明しています。徹底的に「ドラマを作る」のです。

 このドラマ性の強調は画面作りにおいても表されています。ノーベル賞授賞式会場や、当時のジョンソン大統領そしてアラバマ州知事ジョージ・ウォレスが出る場面、特にホワイトハウス――その名の通りですが――など白人のいる場所は白を基調にし、硬質な質感でライティングが強烈に当ります。一方セルマの教会や酒場など黒人たちが集まる場は、黒や茶を基調にしクリーミーで温かみのある画面になっています。こうした画面の対比と同じくらいに、白人と黒人の善悪の立場もくっきり分かれています。もちろん行進に参加した白人も多くいたのですが、デモを阻止しようとする大統領をはじめ黒人を迫害する白人の姿がこれでもかと描かれます。

 こうした明確な二項対立は、現代において単純化しすぎ、リベラルに過ぎると批判されるかもしれません。私も普段は善と悪をはっきり分ける描写は好みません。しかし、当時の黒人たちはそもそも憲法で保障されていたはずの基本的人権すら守られていなかったのです。選挙権を要求するという、当たり前の権利のためにこんな大がかりなことをしなければならないほど状況が不公平だったのに、中立的視点はこの際どれほど意味を成すでしょうか。分かりやすい善悪の分け方に違和感を覚えたとすれば、それは当時の非対称性や不均衡を炙り出すきっかけとなるのではないでしょうか。ホワイトトラッシュの問題もここでは出てくるのですが、キング牧師がクライマックスの演説の中で彼らを生み出すのは権力を持つ金持ちの白人たちであり、だのに黒人たちにその責任を押し付けていると指摘しているんですね。これは言葉を近頃話題に出ている「弱者男性」と「フェミニスト/高学歴女性」に替えてみるとよく分かるというか、同じ問題は今でもゴロゴロあることに気づかされます。

 演説の話題が出ましたが、キング牧師を演じるデイヴィッド・オイェロウォの演技は大変素晴らしく、演説シーンは何度も立ち上がって拍手をしそうになりました。クライマックスの今ここに神が降り立つような高揚感といったら。公式サイトによると7年間役作りをしたそうで、その成果が全編にみなぎっています。

 画面作りの話をしましたが、とにかくこの映画は撮影が本当に美しいです。描かれているのは辛い現実なのですが、撮影の見事さがより一層残酷さを際立たせています。エモーショナルな編集も素晴らしく、だれることがありません。エヴァ・デュヴァネイはこれが長編2作目ですが既に巨匠の風格であり、これからが楽しみでなりません。本当にオイエロウォと彼女がアカデミー賞に無視されたのが謎で謎で、何でブラッドリー・クーパーとかが入っちゃうんでしょうかね(突然のdis)。

 『シンドラーのリスト』の際に作家の佐藤亜紀が指摘していたと思いますが、『シンドラー』と同様『グローリー/明日への行進』も、歴史に埋もれ失われた個人の顔を取り戻す映画だと思います。エンドロールは主要な役者名の後ろにそれぞれ役の映像が映るのですが、この演出も体制的な暴力にさらされ個人としての尊厳を奪われた黒人たちに、今こうして顔と肉体と尊厳を与えようとしているのだろうと感じました。

 最後に「ジョン・ブラウンの体(屍と訳されることも)」という歌を紹介します。元は南北戦争での北軍兵士について歌ったものですが、後に1861年にウィリアム・パットンが同名の奴隷廃止運動家に寄せて新たなヴァージョンを作りました。運動家の方のブラウンは暴力的行為もいとわなかったらしくキング牧師とは思想が異なりますが、歌詞に共鳴する点がありますし、クライマックスでキング牧師が高らかに引用するヨハネの黙示録に影響された内容なので。最初と最後の箇所を掲載します(訳は私訳)。

Old John Brown’s body lies moldering in the grave,
While weep the sons of bondage whom he ventured all to save;
But tho he lost his life while struggling for the slave,
His soul is marching on.

ジョン・ブラウンの体は墓の下で朽ちていく
彼が救おうとした全ての囚われた者たちの子孫が泣いているあいだに
奴隷のために苦闘した最中に彼は命を落としたが
彼の魂は進撃する

Ye soldiers of Freedom, then strike, while strike ye may,
The death blow of oppression in a better time and way,
For the dawn of old John Brown has brightened into day,
And his soul is marching on.

お前たち自由の闘士たちよ、打て、そして打つのだ
より良い時代には抑制への致命的な攻撃がより良い方法だ
ジョン・ブラウンが光をもたらした夜明けのために
そして彼の魂は進撃する