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映画短評『Mommy』&『サンドラの週末』(ネタバレあり)

 カンヌ映画祭の翌日に去年のコンペティションに出品された作品を二つ観てきました。どちらもマイノリティの人々が社会の理不尽なシステムに翻弄されながらも、個人としての尊厳を守り抜こうとする姿を描く点で共通していると思います。両作品、特に『サンドラの週末』は結末をはっきり書いているのでご注意ください。

 

~不思議な壁を壊して『Mommy』~

 今最も勢いのある監督グザヴィエ・ドランの最新作で、去年のカンヌの審査員賞受賞作。シングルマザーのダイアンは、ADHDを持つ息子スティーヴが問題を起こしたために二人でまた暮らすことになります。職もなく息子との関係にも悩むダイアンでしたが、ひょんなことから隣人で吃音で話すカイラが彼女たちの生活に関わることになります。

 映画のほとんどが1:1という非常に狭い特殊な画角になっているのですが、これはADHDの人の視野を表しているのではないかと考えました。注意欠陥・多動性障害と呼ばれる通り大まかに言えば集中したり物事を順番に行うのが困難だったりするのですが、身内にもADHDがいるので感じるのは、物事を全体を通して大きく見るのも難しいということです。本作でもスティーヴが3人以上で話していて途中で割り込んだり逆に誰かが介入するのを極端に嫌がるのですが、注意が多方向に向くため処理できる情報が限られてくるんですね。凄く嫌な言い方なのですがいわばどうしても「視野が狭」くなる。そこまで言わなくとも、ADHDではない人とは物事の見方がかなり異なるということをこの画角で表していると思われます。

 そしてもっと単純に考えればこの画角は、シングルマザー・発達障害吃音といった社会の中ではマイノリティに振り分けられてしまう人々が感じる世界の窮屈さを表現しているでしょう。でも、そんな彼らが手を取り合い寄り添って生きていき、希望や幸福や世界に対する自信を感じた時、画角が全画面に広がります(しかも画面が広がる時にスティーヴがちゃんと手をぐいっと横に伸ばすんです)。この時にかかるのがオアシスの「ワンダーウォール」で、人気曲ですしオアシス自体も映画で何回か使われてますが、これが史上最高の使い方でしょう。『モーニング・グローリー』を聴き込んだ方なら「ワンダーウォール」が咳払いで始まるのはお馴染ですけども、その元の音にスティーヴの照れ隠しでする咳払いを重ねるというにくい演出で、10年前にオアシス狂いだった(その後ブラーに鞍替え)自分は劇場でボロ泣きしました。個人の思い入れは置いといてもここは本作のベストシーンと断言できます。

 主人公たちが困難に直面するときは1:1、幸福な姿が描かれている時は画角が広がるのですが、その困難の描き方に誠実さがにじみ出ていて大変好感が持てます。『わたしはロランス』でもマイノリティの当事者とその身内を描いて「あなたが大変なのも分かるけどこっちだって大変なんだよ」という現実をしっかり見せてましたが、『Mommy』でも家族の愛情でどうにかしようというのではなく、理不尽な現実に振り回されながらもその中でどうやって自律しながら個人の幸せと尊厳を持つかを模索しています。ラストは全画面なので「幸福」の方に数えられますが、『ライ麦畑で捕まえて』や『大人は判ってくれない』の伝統に連なるどこか不安定さも残るもので、そもそも社会の強制的な枠組みの中であえて選んだものなので、本当に「幸福」と言い切れるのかという問題を突きつけます。

 構成自体はベタベタなメロドラマで、『わたしはロランス』などでもそういう作りを平然と正面切って撮れるのがドランの強みだと思いますが、だいたい「特殊」な人々を取り上げたら奇をてらった撮り方をしなければならないのかという疑問も出てくるわけで、美意識と自意識に淫しない問題意識と誠実さがこの作品を素晴らしいものにしています。

 ダイアン役のアンヌ・ドルヴァル、スティーヴ役のアントワン=オリヴィエ・ピロンも良かったですが、ドルヴァルと同じ常連のスザンヌ・クレマンが見事な名演。


Oasis - Wonderwall - YouTube

 

~コミューンを作ろう『サンドラの週末』~

 こちらもカンヌの常連ダルデンヌ兄弟によるコンペ出品作。鬱病で休職していたサンドラはいよいよ復帰というところで職場から解雇を告げられます。復職するには同僚の過半数がボーナスを諦めることに同意しなければならない。生活が懸かったサンドラは、病を抱えながら週末を費やし同僚16人の説得に乗り出します。

 恥ずかしながら初ダルデンヌ。こういう撮り方をするんだろうなとあらかじめ予想していたらほぼその通りで、そしてリアリズムが強い作風はそこまで好みではないのですが、観てよかったです。

 非常に共産主義的な作品だと思いました。結局は資本主義に勝つことは出来ないのですが。生活が苦しくボーナスを選ぶ同僚が続出してもサンドラに味方する人は現れるのですが、その中にアラブ系やアフリカ系の人もいます(ダルデンヌ兄弟ベルギーの人ですが舞台はフランスかと思います)。夫との離婚を決意しサンドラ派に回る女性も登場します。いわば彼らも、鬱病であるサンドラとはまた違った面で「社会的弱者」の側になってしまう人々です。そんな彼らがサンドラを介して一つにまとまる。

 復帰できるとなっても鬱病に「完治」という概念は無いので、急な苦境にサンドラの精神状態はまた不安定になります。マリオン・コティヤールのニューロティックな表情はサンドラの苦しさそして希望を取り戻す様子を完璧に伝えていて、『エヴァの告白』でも思いましたがコティヤールは表情筋をほとんど動かさずとも陰影に富む素晴らしい演技をする。そんな彼女も夫マニュのたゆまぬサポート(この夫が出来すぎなくらいいいキャラで、精神疾患者とその家族の関係の理想形が打ち出されています)により、組織を動かすことに成功します。完全な勝利を手にすることは出来ないけれど、泣いてばかりいた彼女はラストに誇らしげに笑います。職は無くとも個人の尊厳を取り戻すことに成功したのです。そして、自分を支えてくれる仲間を作ることにも。

 一人の女性の物語ではあるのですが、より大きな主眼はその後ろにある仲間あるいはコミュニティにあるように感じます。公式サイトのインタビュー

http://www.bitters.co.jp/sandra/director.htmlによれば作品が誕生したきっかけは苦しいヨーロッパの経済状況にありました。誰もが厳しい環境にある中(本当の悪人は誰もいません、強いて言えばあの主任を辞めさせろよと思いましたが)、独り身の女性といった人々は更に周縁へと追いやられてしまいます。そうした人々を含む、サンドラに賛成した8人は相手を思いやり、互いに助け合い団結する――『サンドラの週末』は新しい形のコミューンの誕生も描いているのです。個人と共同体の関係性を改めて考えてみた作品と言えるでしょう。

 本作で結構驚いたのが、サンドラにきつい言葉を投げかける人も出てくるのですが、彼女の鬱病を「甘え」という人は誰もいないことです。日本は精神疾患に本当に厳しくて、私もリアル友人に「鬱病は甘えと思っちゃう」と言われたことがあります(彼女たちは私が精神疾患を持つことを知らなかったのですが、目の前の誰かがそういう可能性があることを考えずに発言しちゃう時点で、ねぇ)。人身事故も単なる迷惑行為としてしか受け取られない今の日本では本作のような話さえファンタジーになってしまうのではないかと、鑑賞後は少し暗い気分になりました。ただ映画自体は大変良いものです。