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番犬は太るか死ぬしかない:『アメリカン・スナイパー』感想

 イーストウッドによるイラク戦争の「伝説の狙撃手」と呼ばれたクリス・カイルの半生の映画化です。

 「これは西部劇だ」という意見は以前にちらっと耳にしたのですが、確かに個人的に脳裏をよぎったのは『許されざる者』でした。『許されざる者』はカウボーイのロマンティシズムを引きずり復活させるけどただあるのは苦い後味、というような作品で(少なくとも私はそう解釈してるのですが)、これでイーストウッドは「西部劇に終止符を打った」という評をいくつか目にしました。『アメリカン・スナイパー』のカイルも生粋のテキサスっ子でカウボーイであることを誇りにしているのですが、映画全体がもう西部劇は作れないと叫んでいるかのようなんですね。PTSDに悩まされた彼が殺される直前にカウボーイの真似ごとをしたというのが象徴的すぎます。イーストウッド自身のセルフパロディも入りこんじゃっているようにも思えます。『ジャージー・ボーイズ』で自らの出演作を劇中に登場させたように。なぜ20年以上も経って似たようなテーマを繰り返すのか、とは考えたのですが、同じくテキサス出身であるブッシュもある種カウボーイ的ヒロイズムでもって開戦したとも考えられるので、それへの批評かな、とふと思いました。

 カイルはイラク人を蛮族のように扱い、100人以上殺しても国と仲間/家族のためで後悔してないと明言するような男ですが(しかしこれも本心から言ってるのかわからない演出をされています。クーパーの目が完全に死んでいるので)、彼個人の気質にその責を求めてはいません。カイルがなぜ祖国や身内への義務感を強く持っているのかと言えば、幼い頃に父親から「羊や狼になるのではなく、狼から羊を守る番犬になれ」と言われたのが根底にあるからです。代々受け継がれる家父長的思想や男性性、風土etc.がアメリカ全体の呪縛としてはっきり示されています。*1またブッシュに話を戻せば、あれは湾岸戦争を始めた父親の行動を反復しているとも言えるので、単にカイル家が特殊だったというわけではないはずです。

 本国では戦争賛美という批判も受けたようですが、単純なヒロイズムに淫していないことは、原作では名前だけしか出てこないというイラク側の狙撃手ムスタファに、顔と家族と過去=歴史を与えたという点からも明らかです。カイルとムスタファは鏡像関係にあるという精神分析的な考察もできますが、少なくともイラク人(ムスタファはシリア人ですが…)も対等に描こうとしていることは見て取れます。

 しかし、敵側もしっかり造形したために、結果として西部劇的構造を生み出す事態も引き起こしています。クライマックスでついにカイルはムスタファを狙撃することに成功するのですが、その時の構図が完璧に西部劇におけるthe goodとthe badの対決なんですね。ムスタファは元々黒っぽい服装なのでますます西部劇の典型的悪役のように見える。そもそもこの映画においてイーストウッドは銃撃や爆発を上手く撮りすぎている。マイケル・ムーアが怒ったのもこの辺なんじゃないかと思うのですが、カイルが次々と人を射殺していく様をドン・シーゲルから学んだであろうタイトさで格好よく見せるために快感すら覚えてしまうのです。クライマックスの対決では更に砂嵐が発生して、エンタメとしてすごく面白い。

 カイルは自分の行為の愛国的正当性に自信を持ってはいますが、家族の存在や仲間の死によって一人の人間としての倫理観にも向き合うわけで、この二つの間の矛盾に引き裂かれていきます。『アメリカン・スナイパー』自体も、イーストウッド自身は間違いだと考えている*2戦争を描いていても、映画として面白くて格好良いものが出来上がってしまう。作品自体も、恐らく戦争映画というジャンル自体が陥るであろう矛盾に突き当たります。

 そうした矛盾が頂点に達すると、最終的には表象不可能性に行き着くのかな、と思いました。砂嵐の中での銃撃戦で、出遅れたカイルは命からがら敵陣より脱出します。その間に銃、そして胸ポケットにいつも入れていた聖書を落とすというこれまた象徴的すぎるショットがあり、それらを砂埃が覆い隠し、画面を真っ白にします。この後カイルは退役し家庭に戻りますが、戦時の記憶を反復しながらひたすら消されたテレビ画面を見つめます。銃声や敵味方の叫び声が彼の記憶を満たしているのに、実際には真っ白な映画のスクリーンや真っ暗なテレビ画面のみで、どんなデバイスも彼の体験を写し取ることは出来ず、クーパーの瞳のような空白あるいは空虚が存在するだけです。

 このがらんどうな状態は、エンドロールの完全無音状態にも通じるように思えます。一応その直前に、カイルの葬儀の様子を実際の映像とモリコーネの音楽を使って感動的に仕上げ、英雄のように扱います。これは遺族もまだ生きており、悲惨な死を遂げた実在の人物に対する配慮だとも思います。まだ彼は歴史上の人物ではないわけですし。が、エンドロールでは音楽が途切れ機械的に文字が流れていく様子は観客を完全に突き放し、何かしらの感情を抱かせることを阻むかのようです。*3

 胃がキリキリするサスペンスの盛り上げ方も相変わらず巧みで、思わずうっとりするような格好よさもあるにも拘わらず、最後は観客を徹底的に突き放すイーストウッドにしか撮れない傑作でした。ブラッドリー・クーパーシエナ・ミラーの演技も大変よかったです。ミラーは「アメリカの理想的なマスキュリニティを体現するも結局は壊れた男に殺されてしまう男の妻」というニッチ過ぎるジャンルを開拓しましたが、彼女の役どころから分かるように『フォックスキャッチャー』と期せずして共通点が多い作品です(ムスタファが元オリンピック選手という設定は思わずあっとなりました)。アメリカという帝国の新たな綻びが顕在化しているのかな、とふと考えました。

*1:この点から言うともっと比較したいのは『父親たちの星条旗』なんですが、なぜか内容をほとんど覚えてないので再見します…まぁ後は『グラン・トリノ』とか…

*2:映画秘宝のインタビューより

*3:カイルが最後どうなったかもテロップ1行で済ませ、つい最近の事件で分かりきってるからそうしたとも考えられますが、どうしても『許されざる者』における主人公の拍子抜けするようなその後をテロップ一つであっさり告げる手法を連想します