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映画短評『インヒアレント・ヴァイス』&『パレードへようこそ』

映画

『インヒアレント・ヴァイス』

 本国の評を見ると『ビッグ・リボウスキ』、『ロング・グッドバイ』、『チャイナタウン』の名前を見ましたが、個人的にはそこに『キッスで殺せ』を付け加えたいです。人物のヘンテコ具合と突拍子のなさ、不可解さはこちらに近いのではないかと。似てる作品を取りあえずあげて悦に浸ればいいってものでもないですが先行するスタイルと内容があるのは明らかで、しかしポール・トーマス・アンダーソンの素晴らしいところは決してデッドコピーに陥ることなく彼だけにしか撮れないスタイルをちゃんと刻んでいるところです。

 そしてそのスタイルの一つが無名の脇役に至るまで役者の撮り方が異常に巧い、ではないかと思います。本作は特に役者の顔を楽しめる作品です。ホアキン・フェニックス、ジョッシュ・ブローリン、ベネチオ・デル・トロが一堂に会する場面は心地よい胃もたれをもたらしますし、オーウェン・ウィルソンもはまり役。個人的にはマーティン・ショートが最高でした(アメリカのコメディは詳しくないのでショートの位置づけをきちんと把握していませんが、もしこれがイギリス映画だったら彼の役はマイケル・ペイリンが演じただろうと思います)。「ジュリア・ロバーツの残念な兄」の印象が強いエリック・ロバーツもそのパルプ顔/70年代顔を思う存分に生かしています。トマス・ピンチョンのカメオも検討を付けたのですが、もし当たっていたとすればやはり彼もかなりの顔面力の持ち主。

 女優陣ももちろん素晴らしい。これからが楽しみすぎる新人キャサリン・ウォーターストンをはじめ、魅力的なナレーションのジョアンナ・ニューサム(ナレーションはとても忠実な映画の中で大きな改変なんですが、これが大変効果的)、リース・ウィザースプーン、マーヤ・ルドルフ、セリーナ・スコット・トーマス(クリスティンの妹!)もいいんですが、個人的なお気に入りはジェイド役のホン・チャウで、アメリカ映画でアジア系女優がこんなにキッチュでキュートに撮られているのもそうそうお目にかかれないよなぁと。お分かりの通り主要キャストが特筆に値します。名前の出てこないFBIの2人組に至るまで。

 筋が支離滅裂なのは単純に考えれば有機的なまとまりを否定したポストモダン的手法とも考えられますが、やはりレイモンド・チャンドラーのオマージュもあるだろうと思います。チャンドラーは狙ってポストモダンの先駆的手法を取ったわけではなく、プロットを練るのが物凄く苦手だっただけらしいのですが。*1プロットにまとまりがないからこそ、夢かうつつか分からないドクのトリップした感覚を追体験できます。

 タイトルの意味は作中でも説明があるように「内在する欠陥」。卵が扱いに気をつけないと割れてしまうように、製品が本来持つネガティヴな性質を指す保険用語です。これがケネディ暗殺以後陰謀論が噴出したアメリカ全体を指しているのは明らかで、ドクは拡大する欠陥を止めることは出来ず飲み込まれてしまいますが、彼がシャスタといる場面は、腐敗した世界の最後の砦となるかのように、ヴィルモス・ジグモンドも念頭に置いたであろうロバート・エルスウィットの完璧な撮影でもって、美しいソフトフォーカスで彩られています。ちなみに原作で最後に登場するのは「ゴッド・オンリー・ノウズ」。もし『ブギーナイツ』で使用していなければ、本作でも流れていたでしょう。作中の時代設定も原作通りに1970年、監督の生まれた年。こうした一致だけでも、この物語を映像化するにはポール・トーマス・アンダーソン以外に考えられないことが分かります。

 

『パレードへようこそ』

 1984-85年のウェールズの炭鉱ストライキストライキ史上最も泥沼化したとされ、サッチャーはその沈静化にフォークランド戦争以上の費用を費やしたそうですが、*2そのストライキLGBT団体がサポートしたという実話の映画化です。

 当初はお互いに無関心だったり偏見があるのですが、もちろん我々が予想する通り、そうした誤解は解けていきます。LGSM(サポート団体の名前)のメンバーは自身のセクシャリティゆえ家族と不仲だったり疎遠だったりして根無し草状態なのですが、イギリス最後のコミュニティを保持し続けたウェールズ炭鉱町ディライスの人々はそんな彼らに第二のホームを与えます。そして、ディライスの人々も、LGSMとの交流の中で押し殺していた「本当の自分」を目覚めさせます。

 と、こうまとめると若干ありきたりな話にも思えますし、「皆いい人過ぎる」といった批判も見かけたのですが(悪役もちゃんと出てきますけどね)、むしろLGBT映画で安心して見れる、明るく楽しい作品を作る意義は大きいのではないかと思います(設定が結構似ている『キンキーブーツ』もそういう映画でした)。

 作中で一夜限りのチャリティーライヴが登場します。アーティストを多数呼んで、一晩中みなで踊り狂い、騒ぎまくる。老若男女も、LGBTもそうでない人も関係なく。たとえばストーンウォールもそうなのですが、ゲイが集まるクラブの意義について、「辛い日常をその時だけは忘れ、キラキラした世界に身を投じる」ことはよく指摘されます。本作もそうです。差別やストライキの泥沼化も描かれはしますが、それよりも人と人が偏見を乗り越えお互いを尊重し、押し殺した自分を発露し、笑い、踊る姿の方が強調されています。それでいいのです。辛い現実はいくらでもある。しかしこの映画を観ている2時間の間だけは、大いに笑って大いに泣いて(クライマックスの尊いこと尊いこと)、善意溢れる人々の行為に安心できる。ディスコクラブでの狂乱に身を投じるように。

 映画を観て真面目なことを考えていても同時によこしまなことを考える人間なのですが、本作でのアンドリュー・スコットは色気がダダ漏れていて凄いです。ファンの方は当然観に行くでしょうがとりあえず必見です。もちろんビル・ナイパディ・コンシダインイメルダ・スタントンらも流石の演技で、ステフ役のフェイ・マーセイもよかったなぁ。素敵なオネェジェフ君はフォックス家の一員だそうで。イギリスのコッポラ家か…。マーク役のベン・シュネツァーはビリー・ジョー・アームストロングに似てるなと思っていたらアメリカ人でした。コックニー訛りが大変見事なのでビックリしたら演劇を学んだのはロンドンだそうです。

 ストライキの顛末を考えると簡単には言えないですが、しかしこんなにいい気分になれる映画もそうそうないのでとてもお勧めです。

 しかし疑問点もなくは無いので、以下にそれを書き出してみます。映画の詳細に触れるので未見の方はご留意ください。

 

 

 

①マークが共産党員というのを隠していいのか?

 LGSMの創立者であるマークが炭鉱夫たちをサポートするのも随分唐突だな、と思ったのですが共産党員であるという事実*3を知り納得しました。野次で「アカめ!」と言われたり部屋にも党の飾りが映っているらしいのですが、あえて伏せてる印象が拭えなく、個人の主義信条の自由を尊重してないのでは、とも。

②登場人物が白人のみ

 ディライスに関してはしょうがないと思うのですが、ロンドンの方で非白人種が一人もメインキャラに出てこないのは、21世紀の、しかもこうしたテーマの映画としては違和感。というのも、80年代はインドやパキスタン系を中心とした「多文化主義」の時代でもあるからです*4。ゲイと移民問題を扱った名作に『マイ・ビューティフル・ランドレット』がありますね。ただ同じく多様性の重要性を謳う『ワールズ・エンド』も主要登場人物がヘテロの白人男性ばかりだったので*5、イギリスにおける多様性のモデルはどこか違うところにあるのかも、という気はします。

③ジョーの母親について

 本作のオリジナルキャラクターであるジョーは、家族に製菓教室にいくと偽りLGSMの活動に参加します。結局バレてしまうのですが、その時に母親からかつてクローゼットのゲイであったことを明かされます。ゲイと判明した際の周囲のバッシングの恐ろしさ説き母親はジョーにセクシャリティを隠すよう求めるのですが、ジョーは家族と縁を切り堂々とゲイとして生きることを決めます。理不尽な苦労を強いられた人が下の世代に理不尽さを強要することはありますし、また自分を偽らない方がいいに決まってるのですが、しかしあまりにジョーの母親が救われなさすぎる。一番の違いは彼女が女性ということで、LGSMでもゲイとレズビアンの格差が扱われていますが、60年代レズビアンの女性がそれを表明して生きていく困難さは凄まじいものだったろうし、異性愛の結婚制度に逃げを求めたとしても、簡単に責められるものなのでしょうか。ディライスでのゲイに反発する母親もそうですが、この作品では何故か母親が「悪」です(唯一の救いはアンドリュー・スコットの母ですが、彼女もかつては「悪」でした)。ご都合主義でもいいから、ジョーと母親がセクシャリティを発露して共に家を出ていく、という結末の方がよかったなぁ。

*1:脚本で関わった映画の撮影中、監督だか主演俳優だかに「運転手を殺したのは誰だ?」と尋ねられて「俺にも分からん」と返したという逸話が残っています

*2:河野真太郎「イギリスの解体」川端康雄他編『愛と戦いのイギリス文化史:1951-2010年』東京:慶應義塾大学出版会、2011年。pp.362-63

*3:

Mark Ashton - Wikipedia, the free encyclopedia

*4:中井亜佐子「多文化主義、(新)自由主義テロリズム――ハニフ・クレイシと現代英国の文化闘争」『愛と戦いのイギリス文化史:1951-2010年』pp.369-73

*5:『ワールズ・エンド』はスタバ化=アメリカ化を否定する内容で、人種のバランスに配慮してキャスティングするというのはまさにアメリカ的発想ですよね。もしかしたらそれへのアンチテーゼかもしれませんが…。まぁでもやはり資質の問題か