そのままの君を愛してる:『FRANK』感想【ネタバレ】

 今を時めくスターであるマイケル・ファスベンダーがお面を被ったままで出演していることで話題になったこの映画、80年代を中心に活躍したイギリスのコメディアン、フランク・サイドボトムがモデルと言うのでてっきり彼の伝記映画だと思っていたのですが、インスパイアされたというだけで全くのオリジナルでした(ただしフランク・サイドボトムのバンドでキーボードを演奏していた原作者の体験が物語の基盤となっているようです)。フランクのモデルについてはこの記事を:


F・サイドボトム、D・ジョンストン、C・ビーフハート、映画『フランク』モデルの3人のミュージシャンを徹底紹介/前編 | 映画/DVD/海外ドラマ | MOVIE Collection [ムビコレ]

 アイルランドに住む普通の青年ジョンはかつてミュージシャンとして活動しながらもいったんあきらめ、今はサラリーマンとして生活しています。しかし夢を捨てきれずに作曲活動に励みますが、いいものができあがらない。ところがある日メンバーの入水自殺未遂を目撃したことから、お面をぜったい外さない謎の男フランク率いる風変りなバンドにスカウトされます。

 そこでフランクのバンドのライヴシーンが始まるのですが、サウンドがドンピシャに好みで一気に映画に引き込まれました。サブカル色が強いためかこの映画は賛否両論あるそうですが、フランクの音にハマれるかどうかで評価が分かれるように思います。上記サイトにある通りキャプテン・ビーフハートがベースのようですが、若干80年代ニューウェーブも入っているような。主演のファスベンダー氏はかつてへヴィメタバンドを目指していたので低温ボイス(上手い!)はその影響下にあると思われるけども、イアン・カーティスをも彷彿とさせます。私はその時点で胸をつかまれたのですが、イアン・カーティスに似ているのはフランク自身のキャラクターにも関わってきます。


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 レコーディングの過程もフランクのカリスマ性と物作りそのものの面白さ、そして絶妙なブラックユーモアが混ざり合ってぐんぐん見れるのですが、特筆すべきはSNSの使い方の見事さ。要は承認欲求の塊であるジョンはTwitterでレコーディングの様子をつぶやいたり、youtubeに許可なく投稿しているのですが、ポピュラーな表現手段にジョンが手を染めれば染めるほど、バンドの前衛さと対照的に凡庸さが際立つんですね。ハッシュタグの寒いこと寒いこと。この描写はすごく辛辣で、Twitterアカウントを持ち今こうしてブログを書いている私自身が発狂しそうです。SNS、特にTwitterは人気者になると、いつもの自分を表明していたはずなのに、いつの間にか自身をコンテンツ化しもともとの実態から乖離するというのはよくあることです。というか人気を得るために自身をコンテンツ化してしまう。ジョンはフランクの才能に魅せられ彼のようになりたいと願うのですが、コンテンツ化を暴走させるSNSにはまり込むのと、フランクのように誰か他の存在になることを願うのは、自己との乖離の点で共通します。これはジョンと同じキーボーディストであり同じくフランクに憧れていたマネージャーが、フランクのお面を被り自殺するというエピソードで強調されることになります。この自殺は自己が乖離することが導く破滅的結末を暗示していると言えるでしょう。

 しかしフランクこそが、お面を被ることで自分以外の誰かになろうとしている人物です。そしてジョンと同じくらい承認欲求がある。他のバンドメンバーは周りとずれようが一切気にせず自分に自信を持っています。だからこそジョンのような態度を忌み嫌う。けれども自身をコンテンツ化させるSNSに浸りきったジョンは、フランクとそのバンドというコンテンツを見つけ発信し、尚且つそれで得た人気(とも言えないのですが)を自分の手柄だと勘違いしてしまいます。他者になりたいどころか、切り離された自己と他者の区別すらつかなくなるのです。そしてバンドはどんどん崩壊していきます。

 恐らくマネージャーの死とバンドの崩壊はパラレルです。そして逆恨みしたジョンによりフランクのお面は壊されるのですが、これも「フランクの死」と捉えられるかもしれません。その後フランクは実家に戻っていると判明するのですが、よくある天才神話で彼の才能は不幸な生い立ちによるものだとジョンは思い込んでいたのに、何も問題ない裕福な家庭で育っていることを知ります。ここはいいひねりだと思いました。

 ここでやっとファスベンダーの素顔が出てくるのですが、お面が外れてもなお彼の顔は横や斜めからのショットだったり影が入っていて、まるで隠すように取られています。フランクは音楽が全く浮かばなくなっていました。ジョンは彼を元のバンドメンバーがいる場末の酒場へ連れて行きます。意気消沈しお面が無いことで自信を無くしたフランクは最高に惨めなのですが(頭のてっぺんに円形脱毛があるのがまた…)、音楽のインスピレーションが戻ってきます。そしてバンドメンバーに促されるように音楽を紡ぎだしていきます。その中で、「みんな愛している」とフランクが歌った瞬間に、やっとカメラはファスベンダーの顔を正面から映します。この時にフランクは再び生まれ出たのだと思います。お面なんかなくても、誰にも認められなくても(酒場では誰も彼らの演奏など聞いていません)、音楽を作るのが楽しければそれでいいじゃないか…と言っているかのように。「みんな愛している」という歌詞も暗示的ですよね。これまでフランクは人から愛されることを求めていましたが、自分から愛することをここで初めて表明しています。

(余談ですがこの装飾を取り払った状態で歌うシーン、『ヘドウィグ・アンド・アングリー・インチ』を思い出しました。ジョンが酒場を出た後姿を映すショットも似ています。この作品はジミー・ノーシス側から見た『ヘドウィグ~』とも言えるかもしれません)

 このラストでボロボロと涙が出ました。完全にフランクに同化し、毎日が生きづらくてどうしようもなくても自分が本当に好きなものがあれば生きる希望がある、そう受け取ったのです。フランクのモデルの一人ダニエル・ジョンストン双極性障害を患っているそうです。私事ですが同じ疾患を持っているため、ジョンも身に覚えがありますが、最後はとてつもなくフランクに共感しました。

 ここまで書いてきて、何をもってして本当の自分かは判断できないし、そんな上から目線に言われる筋合いはないとも思ったのですが(SNSにどっぷり浸かっててもいいじゃん!)、フランクの側から見ると、お面は何とか社会に適応しようとする(彼はいじましいほどに適応したいと思っているのです)苦闘の象徴であり、そんなに苦闘しなくても大丈夫だよ、と肩をポンポンと叩かれているようにも受け取れます。生きづらさを抱える人には救いとして機能する映画ではないかと思いました。

 最後になりますが、マギー・ギレンホール(ジレンホールって発音するんでしたっけ?)演ずるクララのサブカル女子っぷりが最高でした。本当にいい女優さんです。