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~WTFグローバリズム!?~『ワールズ・エンド』感想【ネタバレ】

 エドガー・ライト監督、サイモン・ペグ&ニック・フロスト脚本いわゆるニッペガーによるコルネット・トリロジーの最終作。過去のどんちゃん騒ぎを忘れられない中年5人組が故郷に帰ると宇宙人か何かに町が占拠されており、パブを巡り酔っぱらいながら世界を救おうとするお話です。

 オアシスが結成された年に生まれた私はブリットポップが血であり肉であり背骨なのですが、そういう?英国サブカル人間感涙ものの大変素晴らしい作品となっておりました。3部作で一番フィクションとしての多層性があったと思います。

 英文学専攻としても色々と考えたくなる要素が沢山あったので、それについて考察してみます。元ネタや読解に関してはやはり町山智弘さんの解説が素晴らしい。https://www.youtube.com/watch?v=U0DudJZwGRw

 その町山さんも指摘していましたが、やはり一番の骨格はアーサー王伝説でしょう。聖杯や登場人物の名前、12という数字に関しては動画を見ていただくとして、他にも指摘できることといえば、ヒロインのサムは先にゲイリーが「ヤった」けれど、彼女はスティーヴンに惹かれますよね。これもアーサー王とグウィネヴィア妃とランスロットの関係を模しているのではないかと思います(スティーヴンのがモテるというのも)。またアルコール中毒患者の集会は元々サークル状になって話をしますが、あれも円卓を模しているでしょう。それは最後にアンディが語り部となるシーンでも一緒ですよね(ここで語りが入れ子構造になっているのも指摘できます)。
 この作品では「聖杯」探索をした後に世界が滅亡するわけですが、アーサー王伝説では漁夫王がロンギヌスの槍で突かれたことから王国が衰退し、そこから聖杯探索が始まります。映画のラストでもゲイリーはパーティを組んで放浪するわけで、伝説と組み合わせると物語の始まりと最後が重なり一つの円環構造を呈することになります。町山さんの解説を引けば、"Loaded"のサンプリングが繰り返し現れたり、高校時代と現在のパブ巡りで起きる出来事が重なるのも、円環構造を形作っています。ここでも「円卓」が出来上がるのです。

 さてそのアーサー王伝説は、薔薇戦争ヴィクトリア朝など、幾多の時代で英国の正当性や威信を示すナラティヴとして使われてきました。伝統的な物語の再利用は、映画のテーマである「グローバリズムという画一化への反発」の格好の手段となります。宇宙人は地球人があまりにもダメだから優秀な人間だけで世界を埋め尽くそうとするのですが、ゲイリーは「バカをやるのは人間の基本的人権だ!」という名言をものします。スティーヴンも「地球をスタバ化になんかさせないぞ」と重ねるわけですが、世界の向上のためによしとされるグローバリズムも結局はアメリカ化という一つの方向へ全てを押し込めているだけではないか、という諷刺が見て取れるわけです(この辺はさすがオーウェルを生んだ国というか、あと『未来世紀ブラジル』のテリー・ギリアムだってイギリスが活動の出発点ですしね)。またこれは最近のパブの経営実態も関わっているそうなのですが、これに関しては北村紗衣さんのブログ

フリーハウスを求める戦いこそ自由のための戦いだ!〜『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!』(ネタバレあり) - Commentarius Saevus

をご覧ください。

 本作に雰囲気を添えるものとしてブリットポップ(マッドチェスターも少し)の名曲がガンガンかかるのですが、これもマクドナルドといったアメリカ資本の文化が多く流入されてどれも一緒に見えた時に、英国の独自性を見直そうとして勃興したものだと、『リヴ・フォーエバー』でデーモン・アルバーンが語っていました。これにトニー・ブレアが乗っかってクール・ブリタニアだとかで一大ムーヴメントとなったわけです。この背景を踏まえると、作中のブリットポップ群は単に盛り上げ役やゲイリーの過去への執着を示すだけでなく、映画の思想を支える大きな要素と捉えることが可能です。

 グローバリズムで頻出するレトリックに安倍ちゃんなども言ってる「経済成長」があります。この辺の議論に関してはレイモンド・ウィリアムズまたは一橋大学の河野真太郎氏が詳しいのご参照いただければ。

 ゲイリーが大人になりたくないのはそのままの意味でも取れますが、これもグローバリズムの反発のメタファーとして解釈できます。大人になること、未来へ進むこと、外へ出ること、アメリカの方へ向かうことが重なるならば、ゲイリーの故郷にいたい、大人になりたくない、過去へ、一点にとどまりたいという願望がその対立項として提示され、アーサー王ブリットポップといった「過去」の「英国」のナラティヴがそれを補強します。彼が最終的に高校時代そのままの友人と一緒に少年のような冒険に繰り出すという結末は、チャイルディッシュ礼賛と同時に世の中の情勢に強く「否!」と突きつけているのです。

※要は多様性を受け入れろという話ですが、の割に主要キャラが全員白人のヘテロなのはどうかと。

※言うまでもなく本作はハリウッド映画のオマージュがこれでもかとあるので、グローバリズム=アメリカ化の問題はかなり屈折していることを踏まえなければなりません。

 その結末ですが、ゲイリーが水を頼むことでアル中を脱したのは成長と言えるかもしれません。これは彼の本当の欲望は高校時代にとどまり続けることで、酒はいわばその代替であり、本当の欲望が達成できたら解脱できた、と解釈しているのですが。

 しかし水を飲むというのは前半まではアンディのトレードマークですよね。その彼は後半へ行くに従いゲイリーのようにどんどん酒を飲んでいきます。ここで二人とも語り部の役割を最初と最後に果たしていることも思い返してみましょう。つまりゲイリーとアンディはどんどんお互いへと近づき、重なり合っているんだと思います。『ショーン・オブ・ザ・デッド』と『ホット・ファズ』はニック・フロストの役が犠牲を払って(ゾンビになったり信じてた父親が悪の親玉だったり…)二人は一緒にいることができました。しかし『ワールズ・エンド』ではそれぞれの理想的生活を崩すことなく、お互いがお互いの役を演じる、お互いになるというある意味究極の欲望を果たし、二人は離れ離れにならずに済んでいるのです。個人的に彼らの関係が最も成熟した形で描かれていて(二人に限って言えばですよ…)、3部作の掉尾を飾るのにふさわしいんでないかと考えています。それにしてもサイモン・ペグのニック・フロストへの愛が重すぎるとは思うんですが。

 

 

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〈田舎と都会〉の系譜学: 20世紀イギリスと「文化」の地図

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