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2014年映画ベスト10&俺デミー賞

周りの人がやっているのを見るとやっぱり自分もやりたくなるよね、ということでベスト10を考えてみました。LEGO®ムービーとかインサイド・ルーウィン・デイヴィスとか見逃しもいっぱいあるのですが…イグレシアスも観れなかったし…

*12月公開でも2014年初めに観た作品も含めています

 

1位:ウルフ・オブ・ウォールストリート

2位:ワールズ・エンド/酔っ払いが世界を救う!

3位:ホドロフスキーのDUNE

4位:ショート・ターム

5位:FRANK

6位:ダラス・バイヤーズ・クラブ

7位:あなたを抱きしめる日まで

8位:誰よりも狙われた男

9位:NO

10位:グレート・ビューティー/追憶のローマ

 

以下、勝手に個人賞(俺デミー賞)を考えてみました↓

主演男優賞アンディ・サーキス猿の惑星:新世紀』『GODZILLA

主演女優賞:ブリー・ラーソン『ショート・ターム』

助演男優賞:コリン・ファレルウォルト・ディズニーの約束

助演女優賞:レア・セドゥ『アデル、ブルーは熱い色

監督賞:クリント・イーストウッド『ジャージー・ボーイズ』

脚本賞:『あなたを抱きしめる日まで

 

特別賞:ロバート・デ・ニーロ in『アメリカン・ハッスル』 

 

最優秀主題歌賞:マシュー・マコノヒー「Money Chants」(ウルフ・オブ・ウォールストリート

 

最優秀アゴ賞:『ゴーン・ガール』のベン・アフレックのアゴ

 

最優秀二度見賞:『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』のサミュエル・L・ジャクソンの二度見

 

最優秀ウィレム・デフォー賞:『グランド・ブタペスト・ホテル』のウィレム・デフォー

 

最優秀ムカつく会話賞:

モータウン博物館に行く?つまらないけど」

「わたしはスタックス派」

in『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』

 

honourable mentions

ラッシュ/プライドと友情』『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』『6才のボクが、大人になるまで』『ジャージー・ボーイズ』『猿の惑星:新世紀』『グランド・ブタペスト・ホテル』『リアリティのダンス』『her/世界でひとつの彼女』『チョコレート・ドーナッツ』『エヴァの告白』

 

今年もいっぱい良い映画を観れる年にしたいです。

そのままの君を愛してる:『FRANK』感想【ネタバレ】

 今を時めくスターであるマイケル・ファスベンダーがお面を被ったままで出演していることで話題になったこの映画、80年代を中心に活躍したイギリスのコメディアン、フランク・サイドボトムがモデルと言うのでてっきり彼の伝記映画だと思っていたのですが、インスパイアされたというだけで全くのオリジナルでした(ただしフランク・サイドボトムのバンドでキーボードを演奏していた原作者の体験が物語の基盤となっているようです)。フランクのモデルについてはこの記事を:


F・サイドボトム、D・ジョンストン、C・ビーフハート、映画『フランク』モデルの3人のミュージシャンを徹底紹介/前編 | 映画/DVD/海外ドラマ | MOVIE Collection [ムビコレ]

 アイルランドに住む普通の青年ジョンはかつてミュージシャンとして活動しながらもいったんあきらめ、今はサラリーマンとして生活しています。しかし夢を捨てきれずに作曲活動に励みますが、いいものができあがらない。ところがある日メンバーの入水自殺未遂を目撃したことから、お面をぜったい外さない謎の男フランク率いる風変りなバンドにスカウトされます。

 そこでフランクのバンドのライヴシーンが始まるのですが、サウンドがドンピシャに好みで一気に映画に引き込まれました。サブカル色が強いためかこの映画は賛否両論あるそうですが、フランクの音にハマれるかどうかで評価が分かれるように思います。上記サイトにある通りキャプテン・ビーフハートがベースのようですが、若干80年代ニューウェーブも入っているような。主演のファスベンダー氏はかつてへヴィメタバンドを目指していたので低温ボイス(上手い!)はその影響下にあると思われるけども、イアン・カーティスをも彷彿とさせます。私はその時点で胸をつかまれたのですが、イアン・カーティスに似ているのはフランク自身のキャラクターにも関わってきます。


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 レコーディングの過程もフランクのカリスマ性と物作りそのものの面白さ、そして絶妙なブラックユーモアが混ざり合ってぐんぐん見れるのですが、特筆すべきはSNSの使い方の見事さ。要は承認欲求の塊であるジョンはTwitterでレコーディングの様子をつぶやいたり、youtubeに許可なく投稿しているのですが、ポピュラーな表現手段にジョンが手を染めれば染めるほど、バンドの前衛さと対照的に凡庸さが際立つんですね。ハッシュタグの寒いこと寒いこと。この描写はすごく辛辣で、Twitterアカウントを持ち今こうしてブログを書いている私自身が発狂しそうです。SNS、特にTwitterは人気者になると、いつもの自分を表明していたはずなのに、いつの間にか自身をコンテンツ化しもともとの実態から乖離するというのはよくあることです。というか人気を得るために自身をコンテンツ化してしまう。ジョンはフランクの才能に魅せられ彼のようになりたいと願うのですが、コンテンツ化を暴走させるSNSにはまり込むのと、フランクのように誰か他の存在になることを願うのは、自己との乖離の点で共通します。これはジョンと同じキーボーディストであり同じくフランクに憧れていたマネージャーが、フランクのお面を被り自殺するというエピソードで強調されることになります。この自殺は自己が乖離することが導く破滅的結末を暗示していると言えるでしょう。

 しかしフランクこそが、お面を被ることで自分以外の誰かになろうとしている人物です。そしてジョンと同じくらい承認欲求がある。他のバンドメンバーは周りとずれようが一切気にせず自分に自信を持っています。だからこそジョンのような態度を忌み嫌う。けれども自身をコンテンツ化させるSNSに浸りきったジョンは、フランクとそのバンドというコンテンツを見つけ発信し、尚且つそれで得た人気(とも言えないのですが)を自分の手柄だと勘違いしてしまいます。他者になりたいどころか、切り離された自己と他者の区別すらつかなくなるのです。そしてバンドはどんどん崩壊していきます。

 恐らくマネージャーの死とバンドの崩壊はパラレルです。そして逆恨みしたジョンによりフランクのお面は壊されるのですが、これも「フランクの死」と捉えられるかもしれません。その後フランクは実家に戻っていると判明するのですが、よくある天才神話で彼の才能は不幸な生い立ちによるものだとジョンは思い込んでいたのに、何も問題ない裕福な家庭で育っていることを知ります。ここはいいひねりだと思いました。

 ここでやっとファスベンダーの素顔が出てくるのですが、お面が外れてもなお彼の顔は横や斜めからのショットだったり影が入っていて、まるで隠すように取られています。フランクは音楽が全く浮かばなくなっていました。ジョンは彼を元のバンドメンバーがいる場末の酒場へ連れて行きます。意気消沈しお面が無いことで自信を無くしたフランクは最高に惨めなのですが(頭のてっぺんに円形脱毛があるのがまた…)、音楽のインスピレーションが戻ってきます。そしてバンドメンバーに促されるように音楽を紡ぎだしていきます。その中で、「みんな愛している」とフランクが歌った瞬間に、やっとカメラはファスベンダーの顔を正面から映します。この時にフランクは再び生まれ出たのだと思います。お面なんかなくても、誰にも認められなくても(酒場では誰も彼らの演奏など聞いていません)、音楽を作るのが楽しければそれでいいじゃないか…と言っているかのように。「みんな愛している」という歌詞も暗示的ですよね。これまでフランクは人から愛されることを求めていましたが、自分から愛することをここで初めて表明しています。

(余談ですがこの装飾を取り払った状態で歌うシーン、『ヘドウィグ・アンド・アングリー・インチ』を思い出しました。ジョンが酒場を出た後姿を映すショットも似ています。この作品はジミー・ノーシス側から見た『ヘドウィグ~』とも言えるかもしれません)

 このラストでボロボロと涙が出ました。完全にフランクに同化し、毎日が生きづらくてどうしようもなくても自分が本当に好きなものがあれば生きる希望がある、そう受け取ったのです。フランクのモデルの一人ダニエル・ジョンストン双極性障害を患っているそうです。私事ですが同じ疾患を持っているため、ジョンも身に覚えがありますが、最後はとてつもなくフランクに共感しました。

 ここまで書いてきて、何をもってして本当の自分かは判断できないし、そんな上から目線に言われる筋合いはないとも思ったのですが(SNSにどっぷり浸かっててもいいじゃん!)、フランクの側から見ると、お面は何とか社会に適応しようとする(彼はいじましいほどに適応したいと思っているのです)苦闘の象徴であり、そんなに苦闘しなくても大丈夫だよ、と肩をポンポンと叩かれているようにも受け取れます。生きづらさを抱える人には救いとして機能する映画ではないかと思いました。

 最後になりますが、マギー・ギレンホール(ジレンホールって発音するんでしたっけ?)演ずるクララのサブカル女子っぷりが最高でした。本当にいい女優さんです。

優雅な生活が最高の復讐である:『グランド・ブタペスト・ホテル』【ネタバレ】

 ウェス・アンダーソン監督の、シュテファン・ツヴァイクの著作を元にした新作です。とある国で少女が紐解くのは小説『グランド・ブタペスト・ホテル』。それは作者が、過去に栄華を誇ったホテル、グランド・ブタペスト・ホテルに泊まった際に聞いた話をまとめたものでした。作者はホテルのオーナーであるゼロ・ムスタファから、オーナーになった経緯、師匠である伝説のコンシェルジュのグスタヴのこと、そして彼らが巻き込まれた殺人事件の顛末を知ることになります。

 アンダーソン印の完璧に構築されたショットは今回も健在で、というか今回はそれが余りにパラノイアックに徹底されてたので監督の精神状態を心配してしまったのですが、これはセルフパロディかもしれないと考え直しました。

 というのも、レイフ・ファインズが演じるグスタヴ(流石の存在感!)はお客の依頼を断らない性格か快楽主義者なのか、老婦人たちとベッドを共にするのですが、その際に相手をするのは「金持ち、金髪、軽薄」な女性たちだと彼は明言します。(ちなみに、過去にレイフ・ファインズもかなり年上の女性と付き合ってまして、それもセルフパロディのような…)

 ただし彼もまた、弟子ゼロによってしっかり「軽薄」だと評価されます。美しくも軽薄で作り物めいた世界とそれを生きるグスタヴは、美しくフィクション性を強調しながら時に表面的すぎると非難されるウェス・アンダーソンの作品世界に自己言及しているかのようです。

 しかし、完璧に作られた自分の世界の中だけを回っているとも言われる作品群の中で、今作はリアルと社会が凝縮された象徴である「戦争」の影が色濃く出ます。新機軸と言えますが、ここにおいてアンダーソン印の徹底された構築性とフィクション性(ホテルやお屋敷のうっとりするデザインもさることながら、脱獄に秘密結社や修道院といった伝奇的モチーフがてんこ盛りで楽しい限りです)は別の意味を持ちます。

 つまり、自分のスタイルを繰り返しているように見えるこれらの要素が、戦争への強固な抵抗となるのです。全てを破壊し暗い影を落とす戦争に対し、明るく豪奢で色彩豊かな世界は、戦争が奪う最たるものであり、それを完璧に再現する行為は戦争に強く反対する行為になり得るからです。

 少し鼻持ちならなくても魅力的で、優雅な世界を体現するグスタヴもまた、「文明の一筋の光」を求めながらも、移民であるゼロを守るため最後に軍人によって射殺されます。ゼロは彼こそ「文明の一筋の光」であると語り、失われた過去の象徴であることを強調します。ゼロの妻子もプロイセン風邪で死去するのですが、これも戦争によってもたらされたと推察できるでしょう。

 戦争は全てを奪いますが、ゼロは語ることによって、作家はそれを本にすることでグスタヴと彼が生きた世界を再現し残すことができます。シェイクスピアではありませんが、フィクションであれ形にすることでいつまでも残すことができるのです。

 本作は現代、80年代、60年代、30年代と入れ子構造になっていますが、徒に語りを複雑化しているのではなく、時を超えて物語を作る人とそれを読む人の存在を見せることが何よりも重要なのだと思います。なぜなら、その行為は本作品を見る私達に繋がることができるからです。ノスタルジーをノスタルジーに終わらせないためには、記憶を語り継ぐ受け手の存在が不可欠です。だから冒頭と最後に現代の読者のシーンが挿入されるのです。

 アンダーソンもツヴァイクの作品という過去の作品にインスピレーションを得てこの映画を作りました。映画の製作過程と、その結果としてできた作品それ自体の存在が、本作で語られることを既に指し示しているのではないでしょうか。

 

政治的でない友情はない:『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』【ネタバレ】

 ご存じアベンジャーズのリーダー、キャプテン・アメリカの2作目にして『アベンジャーズ2』のプレエピソードです。S. H. I. E. L. D.の根幹に関わる巨大な陰謀を発見してしまったキャプテンとブラック・ウィドウ。しかし2人は裏切り者として組織に追われてしまいます。彼らの前に現れるのは最強の暗殺者、ウィンター・ソルジャー…。

 前回に続いて恐縮ですがこの映画の背景については町山さんの解説をぜひ聞いてください。この映画の凄さが分かりますし、私の感想もこれが元になっています。
町山智浩 キャプテンアメリカ ウィンターソルジャー ネタバレ無しで解説 たまむすび - YouTube

 アメリカの理想を体現し、祖国のためにドイツと戦ったキャップの今回の相手は、そのアメリカです。同朋ですら敵になるのは現代の殺伐とした状況を反映しているとも言えますが、この仲間だと思っていたのに争わねばならないという状況は、ウィンター・ソルジャーがキャップの死んだはずの親友バッキーだった、というシチュエーションで反復されます。

 前にキャップの個人的なエピソードが盛り込まれるのはどうか、という感想を見かけたのですが、国家の問題と個人の問題が交差するというのがこの映画の狙いではないかと思います。

 ここで「公共圏(public sphere)」と「私圏(親密圏とも、private or domestic sphere)」を持ち出してみます。公共圏はざっくり言うと、古くは皆が共通の話題について語り合う場(例えばコーヒーハウスとか)であり世論が形成される空間を指します。政治が関わる領域です。対する私圏は家族や友人の間柄といった公共の意識が及ばない空間を指します。定義は複数あり難しいのですが…。

 町山さんの解説でも触れられているエドワード・スノーデンの事件も、対テロリストのために国民のプライバシーが侵害される、という話です。映画ではS. H. I. E. L. D.がテロリストの危険性がある人物を事前に察知し、大量虐殺しようと計画していました。Public sphereがprivate sphereに侵入するわけですが、友人同士であるキャップとバッキーが実は国の存亡の危機に関わるという展開も、公共圏と私圏の境界線が暴力的に揺るがされていることを示すのではないでしょうか。

 最もプライベートな領域であると思われてきた個人のセクシャリティも、政治的に左右されるというのは、ジェンダー研究がとうに通過した認識です。しかし、まだまだ個人的なものと信じられてきた友情も、パブリックのもとに晒される危険性があるのです。これを目の当たりにしたキャップは「自由」のために戦うと繰り返します。それは「プライベートを保持する自由を保障する」と解釈できるかもしれません。

 アメリカにとって最も危険な存在と成り果てたS. H. I. E. L. D.ですが、その誕生の原因となったのはキャプテン・アメリカでした。考えてみたらキャップのアトリビュートも盾(シールド)ですから、両者が分かち難い関係にあるのは当然のことです。

 終盤でキャップは、ウィンター・ソルジャー=バッキーと闘う際に、友人であること、ドメスティックであることを保つためにその盾を捨て、その行為が象徴するかのごとくS. H. I. E. L. D.自体も壊滅します。国家のために友人を殺すよりプライベートな関係を保つことをキャップは選び、国民全体のプライベートの安全も取り戻されます。こうしてprivate sphereの保持=自由を取り戻すことにキャップは成功します。

 ですが、バッキーの記憶は戻りませんし、ヒドラとの争いに終止符は打たれません。エドワード・スノーデンの事件が全く解決していないのと同じように。ウィンター・ソルジャーはベトナムでの虐殺行為を告白した兵士たちを指し、新キャラのサムが(ファルコンであることが分かるシーンの格好よさといったら!)PTSDに悩む帰還兵のカウンセリングを担当している設定からも分かるように、歴史は繰り返すし人間の愚行に終わりはないのです。

 アクションシーンの評判が高かったのですが、細かいカット割りが効いたタイトな作りで期待を裏切らず満足しました。ただキャップはノスタルジックな理想の擬人化でもあると思うので、ここまで今風にしなくていいかなと…。アンソニー・マッキーは本当に素敵。ナターシャも相変わらずイケメンですが世話焼きおばさんになってたのは笑いました。

 そして何より、元ネタとなる映画『コンドル』を撮りながら(そういえばS. H. I. E. L. D.のマークもコンドルですね。まぁCIAを模してるからでしょうが…)ノリノリで悪役を演じ切ったロバート・レッドフォードが流石の貫録。サミュエル・L・ジャクソンを食ってました。

 

 

~WTFグローバリズム!?~『ワールズ・エンド』感想【ネタバレ】

 エドガー・ライト監督、サイモン・ペグ&ニック・フロスト脚本いわゆるニッペガーによるコルネット・トリロジーの最終作。過去のどんちゃん騒ぎを忘れられない中年5人組が故郷に帰ると宇宙人か何かに町が占拠されており、パブを巡り酔っぱらいながら世界を救おうとするお話です。

 オアシスが結成された年に生まれた私はブリットポップが血であり肉であり背骨なのですが、そういう?英国サブカル人間感涙ものの大変素晴らしい作品となっておりました。3部作で一番フィクションとしての多層性があったと思います。

 英文学専攻としても色々と考えたくなる要素が沢山あったので、それについて考察してみます。元ネタや読解に関してはやはり町山智弘さんの解説が素晴らしい。https://www.youtube.com/watch?v=U0DudJZwGRw

 その町山さんも指摘していましたが、やはり一番の骨格はアーサー王伝説でしょう。聖杯や登場人物の名前、12という数字に関しては動画を見ていただくとして、他にも指摘できることといえば、ヒロインのサムは先にゲイリーが「ヤった」けれど、彼女はスティーヴンに惹かれますよね。これもアーサー王とグウィネヴィア妃とランスロットの関係を模しているのではないかと思います(スティーヴンのがモテるというのも)。またアルコール中毒患者の集会は元々サークル状になって話をしますが、あれも円卓を模しているでしょう。それは最後にアンディが語り部となるシーンでも一緒ですよね(ここで語りが入れ子構造になっているのも指摘できます)。
 この作品では「聖杯」探索をした後に世界が滅亡するわけですが、アーサー王伝説では漁夫王がロンギヌスの槍で突かれたことから王国が衰退し、そこから聖杯探索が始まります。映画のラストでもゲイリーはパーティを組んで放浪するわけで、伝説と組み合わせると物語の始まりと最後が重なり一つの円環構造を呈することになります。町山さんの解説を引けば、"Loaded"のサンプリングが繰り返し現れたり、高校時代と現在のパブ巡りで起きる出来事が重なるのも、円環構造を形作っています。ここでも「円卓」が出来上がるのです。

 さてそのアーサー王伝説は、薔薇戦争ヴィクトリア朝など、幾多の時代で英国の正当性や威信を示すナラティヴとして使われてきました。伝統的な物語の再利用は、映画のテーマである「グローバリズムという画一化への反発」の格好の手段となります。宇宙人は地球人があまりにもダメだから優秀な人間だけで世界を埋め尽くそうとするのですが、ゲイリーは「バカをやるのは人間の基本的人権だ!」という名言をものします。スティーヴンも「地球をスタバ化になんかさせないぞ」と重ねるわけですが、世界の向上のためによしとされるグローバリズムも結局はアメリカ化という一つの方向へ全てを押し込めているだけではないか、という諷刺が見て取れるわけです(この辺はさすがオーウェルを生んだ国というか、あと『未来世紀ブラジル』のテリー・ギリアムだってイギリスが活動の出発点ですしね)。またこれは最近のパブの経営実態も関わっているそうなのですが、これに関しては北村紗衣さんのブログ

フリーハウスを求める戦いこそ自由のための戦いだ!〜『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!』(ネタバレあり) - Commentarius Saevus

をご覧ください。

 本作に雰囲気を添えるものとしてブリットポップ(マッドチェスターも少し)の名曲がガンガンかかるのですが、これもマクドナルドといったアメリカ資本の文化が多く流入されてどれも一緒に見えた時に、英国の独自性を見直そうとして勃興したものだと、『リヴ・フォーエバー』でデーモン・アルバーンが語っていました。これにトニー・ブレアが乗っかってクール・ブリタニアだとかで一大ムーヴメントとなったわけです。この背景を踏まえると、作中のブリットポップ群は単に盛り上げ役やゲイリーの過去への執着を示すだけでなく、映画の思想を支える大きな要素と捉えることが可能です。

 グローバリズムで頻出するレトリックに安倍ちゃんなども言ってる「経済成長」があります。この辺の議論に関してはレイモンド・ウィリアムズまたは一橋大学の河野真太郎氏が詳しいのご参照いただければ。

 ゲイリーが大人になりたくないのはそのままの意味でも取れますが、これもグローバリズムの反発のメタファーとして解釈できます。大人になること、未来へ進むこと、外へ出ること、アメリカの方へ向かうことが重なるならば、ゲイリーの故郷にいたい、大人になりたくない、過去へ、一点にとどまりたいという願望がその対立項として提示され、アーサー王ブリットポップといった「過去」の「英国」のナラティヴがそれを補強します。彼が最終的に高校時代そのままの友人と一緒に少年のような冒険に繰り出すという結末は、チャイルディッシュ礼賛と同時に世の中の情勢に強く「否!」と突きつけているのです。

※要は多様性を受け入れろという話ですが、の割に主要キャラが全員白人のヘテロなのはどうかと。

※言うまでもなく本作はハリウッド映画のオマージュがこれでもかとあるので、グローバリズム=アメリカ化の問題はかなり屈折していることを踏まえなければなりません。

 その結末ですが、ゲイリーが水を頼むことでアル中を脱したのは成長と言えるかもしれません。これは彼の本当の欲望は高校時代にとどまり続けることで、酒はいわばその代替であり、本当の欲望が達成できたら解脱できた、と解釈しているのですが。

 しかし水を飲むというのは前半まではアンディのトレードマークですよね。その彼は後半へ行くに従いゲイリーのようにどんどん酒を飲んでいきます。ここで二人とも語り部の役割を最初と最後に果たしていることも思い返してみましょう。つまりゲイリーとアンディはどんどんお互いへと近づき、重なり合っているんだと思います。『ショーン・オブ・ザ・デッド』と『ホット・ファズ』はニック・フロストの役が犠牲を払って(ゾンビになったり信じてた父親が悪の親玉だったり…)二人は一緒にいることができました。しかし『ワールズ・エンド』ではそれぞれの理想的生活を崩すことなく、お互いがお互いの役を演じる、お互いになるというある意味究極の欲望を果たし、二人は離れ離れにならずに済んでいるのです。個人的に彼らの関係が最も成熟した形で描かれていて(二人に限って言えばですよ…)、3部作の掉尾を飾るのにふさわしいんでないかと考えています。それにしてもサイモン・ペグのニック・フロストへの愛が重すぎるとは思うんですが。

 

 

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〈田舎と都会〉の系譜学: 20世紀イギリスと「文化」の地図

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杉江松恋『海外ミステリー マストリード100』(日経文芸文庫)

今最も売れっ子のミステリ評論家の一人である杉江松恋氏による海外ミステリーのガイドブックです。

これまでに同じ趣旨の本は沢山あるし、各種ランキング本も毎年乱立している中で、改めてガイドブックを出し人々に読んでもらうことに難しさはあると思います。

しかし、この本の一番の魅力は「杉江松恋が選んでいる」という点でしょう。

書評家としての地位を確立している氏が何をマストとしたのか?という興味で手に取ったミステリファンも多いのではないでしょうか(現に私もその一人です)。

もちろん、巧みなミステリ読みが書いているわけですからミステリ初心者にもおススメできるわけです。文庫という媒体もいいですね。

そして実際に紐解いてみると、これは外せないだろうという納得の作品がずらずら並んでいるのですが(個人的にレジナルド・ヒルとキャロル・オコンネルが入っているのが嬉しい)、

クイーンやクリスティ、カー(カーター・ディクスン)ら超有名どころは思わぬ作品が選ばれており、選者の個性をしっかり出してきています。

 解説で該当作品の勘所を知り、同じ作者の読むべき他作品・似たテーマの作品も紹介してくれるという至れり尽くせりな構成にはなっているのです、が、!!

……ページ数が足りない!!!!!

と満足し読み終えつつも感じてしまいました。それを思ったのが実はのっけからのアントニイ・バークリーのページで、

他のバークリー作品を紹介してバークリーという作家の特性を伝えているのですが、唯一『試行錯誤』に触れてないんですね。ノンシリーズでは『殺意』と並び名前が挙がる代表作です。

ここで片手落ちだなぁと思ったわけではなく、杉江氏自身の情報の取捨選択における「試行錯誤」を勝手に感じ取ってしまったのです。限られたページ数の中で、すれっからしも初心者も納得できるよう、自分が考えるバークリーの特性を如何に伝えるか?ということにとても苦心なさったのではと。そしてそれは他の作者のページでも同じでしょう。

だからですね、出版社さんにお願いしたいのは、杉江松恋の大部の評論を読ませてくれ!ということです。

ミステリというのはそれ自体が一つの枠であるジャンルですが、その枠の中でまた「本格」「ハードボイルド」といったいくつものジャンルで区切られています。

 そしてそれぞれの枠の中でいくつかの作品が形成していった「お約束事」が積み重なり、新たな作品を生み出していくわけですが、こういう過程を経ているからこそ、ミステリを論じる時はジャンルを意識し時に特化して読み込んだ時に本質に触れられることがあります。決められたお約束事を如何に前例にない形で巧みに料理するか、あるいは前提であるお約束事をわざと外して効果を上げるか、といった作者の技量が、ミステリ作品の胆であったり、読者が知らず知らず快感を覚えているところだったりするからです(この図式はモダニズム以前の英詩の系譜に似てるんですがまぁそれは別の話)。

しかし、もちろんそれだけで魅力が語られるわけではなく、特殊な形とはいえ紛れもない「小説」なのですから文学史の流れも踏まえるのも必要でしょう。ミステリ用語だけでなく文学全体を分析する際に用いられる用語なり理論なりを当てはめなければ言えないことも多いはずです。

杉江氏は「ガイブン酒場」などでミステリ外の作品も多く読み込み、いわゆる「純文学」の知識も豊富な方ですので、 ミステリ内部にしっかり潜り込むながらも、境界を飛び出した外部の視点をぶつけることによって、立体的なミステリ論を書いてくださるのではないかと勝手に期待しています(一応本書の後半部は杉江氏なりのミステリ史と言えるのですがやはり如何せんページ数が…)。

ちなみに、ジャンルに特化したガイドブックでは、『ミステリ絶対名作201』(新書館)が個人的にベストだと思っているのですが、絶版…。これが出版された時は若手だった川出正樹氏や村上貴史氏もベテランになっているので、お二人を中心に新しく編まれたのも読みたいですね。

キャラクターからアイコンへ~『スヌーピー展』@森アーツセンターギャラリー

友人に招待券を頂いて、一緒に行ってまいりました。

結論から言うと、大変充実していて素晴らしい展覧会だった、という月並みな一言に尽きます。 

最初のセクションではチャールズ・シュルツ氏の生い立ちを、それが元になったピーナッツの原画を交えて紹介しているのですが、

ここでシュルツ氏が少年時代に影響を受けた漫画も展示しているのですね。どれも彼が過ごした時代背景の解説が付いていて。戦前・戦後のアメリカの空気が、大衆文化を通して実感として伝わってくるのです。

ここからもう『ピーナッツ』は確実にアメリカの一部を象徴するものなんだ、という予感が伝わってきました。 

ざっくりくくると展示はシュルツ氏の生涯・『ピーナッツ』の作品遍歴の紹介と構成されているのですが、圧巻なのは後半の作品遍歴でした。

もちろん年代順で、重要なトピック(主要なキャラクターや、スヌーピーの変装コレクション)に分けられており、

初期の可愛らしい子供たちの様子から、登場人物も内容も円熟し単純さと複雑さが見事に溶け合った中期、そしてどこか達観した境地にすら至ったミニマリスティックな後期、と一気に見ていくと、

キャラクター達と、シュルツ氏自身の発展なり成長なりが重なって、何か大河ドラマを観たような気分になるのです。あんなにユーモラスな作品なのに! 

そこに、ちっぽけでどこにでもいるキャラクター達が、どんどんと読者(当時のみならず今の自分も)にとって大事な存在となる意識の過程も加わって、気が付くと涙が出そうになりました。

それが最もよく表れていたのが、途中に挟まれたNASAのイメージキャラクターになったスヌーピーのセクションだと思います。

宇宙開発が進み新たなフロンティアが拓け、アメリカの人々が未来に屈託のない希望を抱いていた時期と、決して変わることのない安心感を与えてくれる『ピーナッツ』の特性(それは逆説的にチャーリー・ブラウン達が将来への不安を表明するから保たれるのですが)が接触し、スヌーピーないし『ピーナッツ』がアメリカの代表的なアイコンとなった瞬間を見たようでした。 

長々と熱のこもった文を書いてしまいましたが、兎にも角にも圧倒されたのは、

単に「可愛いな」「面白いな」と思っていた些細なものが(実際子供しかいない作品ですし)、人々の心の中枢となる巨大なものへ発展したことです。

それをはっきりと確認でき、またリアルタイムで作品を読んできた世界中の人と自分の思いを共有したこの展覧会は私にとって非常に有意義なものでした。 

…後はミュージアムショップが散財必須なほど充実していましたしね…。